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傷の在処(其の弐)

ふと気づくと、もうすぐ鍼灸師免許とって満9年です。
うわー。はやっ。
ここでひとりで仕事を始めてからは、今年の5月で丸5年。 果てしなく長かったような、あっという間のような気がします。

開業間もないころからおいでになられているような方は、現状でものすごく困っている症状があるわけではなくても、「健康管理」という目的の方が多いです。 かなりのご高齢の方、重要なポストで重責ある方、慢性症状の経過観察の方、などなど。

一昨年&昨年あたりからは、本家サイト上ではっきりと明記するようになったせいか、おいでになられる方のカラーや傾向がかなりはっきりしてきました。新しくおいでになられて、そのまま継続してお越しになる方の傾向は、かなりの確率で、
「これまでに複雑な事情や厳しい体験がある+身体の症状で困っている」
というケースに当てはまるようです。

ちなみに。
鍼灸院の定番である急性の痛みや怪我などの新患さんはほとんど皆無だし、慢性でもいわゆる「リラクゼーション」だけを求める方はおいでにならないです。
まぁ、それは当然です。
例えばスポーツ障害なら、私なぞよりもっと腕のいい方が世の中にはたくさんいらっしゃるし、癒しの雰囲気を求めるなら、こんな口の悪い私なんかより、もっと柔和で穏やかな施術者さんや、充実した施設を探して頂くのが、お互いに幸せ、だと思います。

どれだけお役に立てているのか、甚だ心もとなくもあるのですが、当面この方向性でいくつもりです。はい。

さてさて。
えーと、継続中のテーマは治療者自身の「傷」についてでした。
前回書いたものはこちらです。

ひとことで乱暴に要約するならば、
「治療者の資質として、自らに傷となる体験はあった方が良いのか?」
という素朴な疑問について、ひとりでぐるぐると考えていたんでしたっけね。

さて、これってどうなんでしょうね?

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by tamayura_tamayura | 2009-01-31 23:38 | 抽象的な話

傷の在処(其の壱)

実は、CIDPの話の続きはちっとも書けません。
この件について書くと、毎回例外なく、どどーっと疲れます。 思い出しただけで、そのときの感覚が蘇ってしまうみたいです。

そう考えると、忘れるってすごい機能ですよね。助かる。「時間が解決してくれる」って、実に受身で曖昧な解決法みたいだけど、実際のところそれがなかったら、生きていくのはかなりしんどいだろうと思います。

だけどそうやって、しまいこんで、忘れて、一見無かったことにしてしまっても、エネルギー保存の法則!みたいに、そのときの記憶はどこかに刻み込まれているわけです。で、忘れた頃に、そういう傷は、ときどき不可解な悪戯や悪さをする。だから、たまには倉庫の中や、押入れの中に風を通したり、お日さまの光を当ててやるように、振り返ってメンテナンスしてやったほうがいいかなぁ、なんて思ったりもします。

でも、ホントのところは、CIDPのことを書けない理由は、もうひとつ思い当たるのです。 たぶん私が自分が体験した病気について、ここであれこれ書くと、 それはもしかすると自分では意図しないうちに、「自分の病気を克服して、いまは治療家になってます!」 みたいなストーリーを、自分で紡いで演出してることになるんじゃないかと思うんです。 (えーっと、CIDPに罹患した話は捏造や創作ではなく、確かに事実なんですが、そのことをいまさらわざわざ大きな声で言いたくなかったりなんかするんだよなー、という意味です)

私はとことんへそ曲がりだからか、、、
なんだかそういうストーリーには、素直に乗れないのです。

だけど実際、私がお世話になったことのある治療家の先生方や、この世の中にたくさんいらっしゃる治療家さんたちには、 少なからず「難病を克服しました」とか、そこまでじゃなくても、 「病や苦労の体験を経て、この道に進みました」みたいなプロフィールをお持ちの方が少なくないはずです。さっきの言い草と矛盾するようですが、我ながら、やっぱり自分も病気しなかったら、やっぱりこの道には進まなかっただろうなぁ、とは思っています。

これって、いったいなんなんでしょうね???

たぶん、多くの人に共有されている治療家プロトタイプみたいなイメージがあるとしたら、それはきっと「自らも傷を負いつつ、人のために尽くす」というような意味を孕んでいるのかもしれません。だから「苦労人っぽい先生の方がいいわ」みたいな根拠の無い幻想って、たぶん私自身の中にもあると思うんですよ。(あー、でも私自身には他の判断基準がありますよ。念のため)

つまり、それはわざと意地悪な言い方をすれば、 「治療家たるもの、平和でハッピーで悩みもなくお気楽ではいけない!」とでもいうような意味に翻訳できたりなんかするんじゃないかとも思います。わかるんだけどね。確かにそれはある程度までは真実だと思う。だけど、それをあまりに突き詰めて求めすぎてしまうのは、ちょっとおそろしいことだ。

だって、この考え方をわざとデフォルメしてみると、極端な話、 「医療者たるもの、常に全身全霊を賭けて、身を挺して、治療にあたるべし!」みたいな意見になるんじゃないかと思います。たぶん、我々の中にはどこかにきっと、多かれ少なかれ、無意識的に、自動的にそういうイメージを思い浮かべて、求めてしまうような何かがあるのではないかしら。

しかしねー。。。

あー この話題、相当きわどいゾーンに踏み込んでおります・・・
とりあえず、ここでいったん切ります。

続きは今晩また。(というつもり)
by tamayura_tamayura | 2009-01-31 09:38 | 抽象的な話

水の女・風の女


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2006年3月 屋久島


遠出して友人と、日帰り温泉に行きました。
彼女と会うときはかなりの頻度で、どこかの温泉施設に行きます。
とにかく、ずーっとお風呂に入りながら、延々と話しています。
毎回なにをそんなにいったい話すことがあるのかというくらい。

途中でご飯食べたり、マッサージを受けたり、休憩したりしながら、
たいてい午前中から夜までずーっと居続けます。
お座敷があれば、お互いにマッサージしあったりすることも。

からだがふやけます。

それだけ長時間お湯に浸かっていると、かなり体力も消耗するはずですが、
ふたりとも相当タフにできているようです。へっちゃら。

こころもふやけます。

血液が煮詰まってくるみたいに、お話の内容もだんだん濃くなります。
かなーりきわどい話もします。お外には出せないような話ばかりです。

***

そうそう。「ドクターフィッシュ」ってのご存知ですか?
足の角質を食べてくれる、っていうお魚。
これ、体験しました。私の足、むっちゃたくさんの魚にたかられました。
びりびりしびれるような細かい振動で、もう気絶しそうでした・・・ ^^;
足の角質、たまってるんでしょうかしらね。
それとも私って、そんなに美味しいんでしょうか。
あんまり嬉しくないんですが。。。

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by tamayura_tamayura | 2009-01-28 00:23 | 個人的な話

イヌの鍼灸治療(其の弐)

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2007年5月


湯たんぽ、いいですよね。冬の寒い夜には最高ですね。
エコだから、って人気出て、再評価されてるみたいだけど、そんなことより、なにより、あのしっとりとした暖かさは最高。
でも、ここのところ私が愛用しているのはですね、名づけて、、、
「とぴたんぽ」 (^^ゞ
私は、毎晩うちのトッピーと、一緒の掛け布団をかぶって寝ています。(夏は不可)

「犬と一緒に寝るなんて、絶対にありえないよ!」と、長年思っていましたが、訂正してお詫び申し上げます。はい。いちどはじめたらもう止められなくなりました。
トッピーの毛は、犬としてはかなり細くてやわらかいので、手触りつるつるしてるし、とにかくあったかくてきもちいいんですよ♪

これまではオスしか飼ったこと無くて、初めてのメスなので、なかなか最初は理解できなかったのですが、とにかくトッピーは、情が濃すぎるし、計算高くてワガママだし、所有欲も自己顕示欲も強い犬なので、人間だったら相当に嫌な女なのですが、、、
なにせイヌですから。悔しいことに、すっかり私は溺愛してしまってます。
私のメンタル健康は、この犬によって維持されてる部分がどんなに大きいことか。。。

さて。そんなトッピーのやつ、ホントに手がかかる女なのです。
(きょうはあとはひたすら犬の話です。鍼の話には辿りつけそうにないかも・・・)

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by tamayura_tamayura | 2009-01-21 21:55 | 動物鍼灸実践記

慢性炎症性脱髄性多発神経炎の話(5)

これまで何度か書いたまま、そのまま放置になっていたCIDPの件です。

慢性炎症性脱髄性多発神経炎(CIDP)の話
第1回 CIDPってなに?
第2回 CIDP罹患~私の場合
第3回 CIDPの発症から経過
第4回 CIDP経過の続き 

これらを書いた時点で、ある程度は想像・覚悟していたのですが、それ以上に少なからぬ方々が、ワード検索でこちらにお越しになられていることに最近気づきました。
やはりそのまま放っておくわけにはいかないかな、と。

私は確かにCIDPの完治(寛解)者ですが、私ごときが書けるのは、ごくごく小さな個人的な体験でしかないです。ふだんは、もうあの辛さも、治ったときの感激や感謝も忘れてしまっていることが多いです。

それでも・・・ もう15年以上経つのに、実のところ、あのときのことを思い出すとものすごく辛いのです。手足の耐え難い重さや、とにかく痺れて痛くて、動きがもつれる感じが、ありありとよみがえります。世の中の目を気にして、ひっそりと息をひそめて、身を隠していた感じとか。

だから、いま、リアルタイムであの状態を味わっている方々の気持ちを想像すると、私はとてもいたたまれない。でも、もしかしたら、いま困っているどなたかに、「うわぁ。ちゃんと治って元気にしている人がいるんだ!」って思っていただけたなら、ちょっとはいいことあるんじゃないかな、とも思うのです。

というわけで、がんばってまた書いてみます。はい。

重めがお嫌いな方は、ここでストップしてくださいね。
どうぞよろしくおねがいします。

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by tamayura_tamayura | 2009-01-20 22:42 | CIDPの話

イヌの鍼灸治療 (其の壱)

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2008年12月


たまには、鍼灸師らしい話でもしてみます。

唐突ですが・・・ この世の中には「動物鍼灸」というジャンルがあるのです。犬猫はもちろん、家畜類、競走馬とかもたぶん対象になっているはずです。
動物はそれぞれに人間とは解剖学的に多少違いがあるし、罹る疾患も異なるので、まったく同じというわけにはいかないのでしょうけれど、かなりの部分で、人間用の鍼灸技術や理論を応用できるのではないかと思います。(そうそう。右側メニューバーにに書籍紹介を並べてますが、『マッサージ台のセイウチ―グリエルモ先生の動物揉みほぐし診療記 』 これ、あくなき探究心と技術向上心と愛があふれた、すばらしい記録です。大好きな本のひとつかも。ご興味ある方はぜひぜひ)

でも、「動物鍼灸」のこと、実のところ詳しくは私は良く知りません。というのも、動物に対する鍼灸治療は、獣医でないとやってはいけない、はずです。(イマドキ流行ってるドッグマッサージとかならいいのか、という話になりそうですが、それを言うと話が大きくそれてしまうので、ここではふれません) 基本的に、動物の病気を診ることを仕事にしてもいいのは、獣医だけですからね。(そういえば、私は子供の頃には獣医さんになりたいと思っていました。でも、小学生の時点で、すでにあまりに激しく算数ができなかったので、獣医=理系はムリだ、と早々にあきらめておりました。切ないなぁ・・・)

しかーし、私は現在いちおう鍼灸師。自分のイヌにハリするんだったら、あくまでも自己責任において、たぶんきっと絶対、自由です。というわけで、これまで先代のイヌには、さんざんたくさんハリしたりマッサージしたりしてきました。爺さんになったゴールデンレトリバーの関節痛、顔面神経麻痺(?)のときには、ずいぶんいろいろやりました。イヌのほうも心得たもので、私がハリの道具持ってると、ソファに寝転がって、治療をせがんだりして。。。もちろん私は、王様にお仕えする下女のごとくの働きでございますよ。はい。
ちなみに参考記事はこの辺に。(残念ながら、動画は消失してリンク切れてます。むちゃむちゃ気に入ってたんだけどなー。。。)
『なまけ日和』
http://namake.moe-nifty.com/namakebiyori/2005/01/post_2.html



でも、もうずっとそういうことは忘れておりました。昨日まで。。。

ところが、現在のうちのイヌであるトッピーに、どうやら私がハリをしなきゃならないような事情が生じてきたようなのです。それも、今度は筋肉骨格系の疾患ではなく、婦人科、ならぬ、婦犬科疾患。 

うわー。。。 まいったなぁ。
どうしようかなぁ、と、実はひそかに昨日から悩んでおります。

うーん。長くなりそうなんで、続きはまた改めます。
(この項続く)
by tamayura_tamayura | 2009-01-20 00:57 | 動物鍼灸実践記

がんばれノリカ!

あさからテレビを眺めていたら、藤原紀香が出ていた。
どうやら主演してるミュージカルの宣伝らしいんだけど、本番舞台までの練習ドキュメント映像に見とれてしまった。

いくら芸能人だとは言え、ダンスや歌のプロでもない人が、ミュージカルに出演するなんて、やっぱり大変なことだろう。がっちがちに硬い身体だった彼女が、いろーんなトレーニングを重ねて、180°開脚やY字バランスをばしーっと決めるようになる。その事実だけでも、ずいぶん頑張ったんだなー、すごいなー!と思う。

それはともかく、その映像のなかで、練習中の彼女の顔はたぶんノーメイク(だろうと思われる。ふつうに美人だったけど、メイクしてる顔とはやはり違う)だ。素の顔が泣いたり笑ったりする波打つ感情や、ごくごく自然で生の表情と動きが、短い時間の映像なのに、しっかり伝わってくる。生きてる、ってかんじがした。おどろきました。うごかされた。

彼女が自分を意識的にマーケティングしたり、過度なイメージ作りをしているのかどうかはわからないけれど、たとえつくりものだとしても(個人的には「作りこんだナチュラル」というのは好きだな)、彼女は実に現代的な30代偶像・アイコン的な存在のひとりなんだろうなぁと思います。(女優なんだし、ある程度作為的なイメージでも構わないしね)

なんといったらいいのか・・・ ストイックに目的を目指していくような。これがイマドキ的なかんじなのかもしれません。そのラインで、あと思いつくのは、長谷川理恵かぁ。「走る」ってまさに自分の身体で一歩一歩目的に近づいていくあたりが共通するのかな。

これまで、あんまりにもいっしょうけんめい!なタイプはストレートすぎるようでちょっと敬遠、、、だったんだけど、きょうはなんかすごくいいなぁ、と思った。ああいう驚異的な手足の長さはまったく別世界の生き物みたいに思えるけれど、実のところ、私は紀香さんと同じ年齢なんである。(確か誕生日は1週間違いくらいだったような。むかしから、なんとなーく応援している気分がある)

手足の長さとか、顔の造作みたいに、自分が生まれ持った身体の資質は変えようがないけれど、あの圧倒的な前向き感!な努力とか、むちゃくちゃがんばって生きてる感!みたいなエネルギーはすごい。素直に憧れる。

やっぱ、「もう年だからね」とか、言ってる場合じゃないのかもしれない。。。
そう言って、認めてしまえば楽になる。もういいや、と。
いつもその誘惑と戦っているのですけどね、私は ^^;;;

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by tamayura_tamayura | 2009-01-13 21:36 | 雑談

秘密

私がまだ勤務鍼灸師だった頃。
診療時間ももう終わりで、もう他には誰も居なくなった広い広い治療室で、治療の仕上げに仰向けで私に首の後ろのマッサージをされながら、その寡黙な男性は、ぽつりぽつりと話し始めた。

「昨日、会社を休んで、死のうと思って出かけたんです。でも、最後の最後になって、怖くて、だめだったんです」

そのとき、一瞬あっと息を飲んだ私は、そのまま変わらずに手を止めずにいることがせいいっぱいで、そのあといったい何を話したんだっただろう。
そんなことをふと思い出した。

あのとき、どうすることが最善だったのだろう?
ときどき、そんなことを繰り返し思い出しては、考えるのです。

そうだな。
あなたなら、どうしますか?

答えは、、、わからないな。
答えはひとつではないよね、きっと。


身体は単なる物理的なモノであるだけではなく、ときに心と呼ばれる現象と不可分。無防備な相手の身体からは、ときとして、こちらが思いもかけない言葉や反応が出てくることがあります。
それにね、極端な話、相手の身体に何かすることによって、もしかしたら、こちらが悪意を持って、意図的に相手を操作することだって可能かもしれないわけです。(私にはそんな高度な技術はとてもないですけどね)

なんらかの身体技法を用いて、明るく、楽しく、ハッピーに、「キモチいい」「幸せ」「癒された」なーんてもろもろの現象を引き出すことはもちろん悪いことじゃないし、「癒し」とか「リラクゼーション」とかいう類の言葉が流通して、社会的な認知が高まった事には、良い面がもちろんたくさんあるんだと思うし、私自身だってその恩恵をたくさん受けている自覚があります。

だけど、だけど、だけど。
その影には、わけのわからん不合理とか、黒くて暗いものもいっぱいあるよ、ってことはちゃんと意識しておいた方がいいよなぁ、と思うのです。ときどき。
以前お世話になった先生が、カルト宗教の例を出して、「身体技法の怖さ、危なさをちゃんと認識した上で行おう」みたいなことを、何度も話していたのがありありと思い出されます。

うまく表現できないんですが...
怖いことあるんですよ。ときどき。

「科学や合理性を重んじる医療従事者」だと、こんなこと大きな声でいう人は少ないのかもしれません。ふだんは私もそんなこと全然考えてない。基本的には私は、ドライな合理主義者だと思う。

でも、そんな私だけどときどき、やっぱり厳然として、わけのわからん世界に、素手で触れている感触がはっきりとあるのです。なんなんでしょうね。
たまに、こんなの思い出します。気をつけなきゃね。

汝が久しく深淵を見入るとき
深淵もまた汝を見入るのである。
F.W. Nietzsche



新年は明るく前向きな話だったので、ちょっと反動つけてみました。
光が明るければ明るいほど、影は濃くなるのですよね。
光と影。どちらもないとね。

以下はマニア向けですのであしからず。
by tamayura_tamayura | 2009-01-10 23:10 | 抽象的な話

2009年仕事始め

おかげさまで、初日よりフル稼働。無事に1日が終わりました。

今日おいでくださった方々はほとんどが、もう何年も定期的にお目にかかっているお顔ばかりでした。
「今日もありがとうございました。今年もどうぞよろしくお願いします」
といった深々としたご挨拶を頂いたりなぞしました。
なんだか本当にありがたいことです。
「いえいえ、こちらこそ。今年もささやかながらお力になれると嬉しいです」
と、頭を下げながら、なんだかとっても畏れ多いような。

「こうやって、気が合うっていうのかな、安心して任せられるような方にいつも面倒見てもらってると、ホントに心強いです。今年もよろしくね!」
なーんておっしゃってくださる方もいらっしゃいました。
「わぁー今年も頑張らねば!」と、気が引き締まるような。

そういえば、鍼灸学校に入学したとき、
「人からお金を頂く上に、『ありがとう』と言ってもらえる仕事なんて、この世の中になかなかありません。みなさんはそういう道に進み始めたのですから頑張りましょう!」
みたいな話を聞いた記憶があります。そうだよねー。確かにそうだよねー。

そんな、初心、みたいなものをちょっとリアルに思い出した2009年仕事はじめでありました。
がんばらなきゃねー。

まぁでも、そんなこんなは別としても、ごくシンプルに、
「あぁ私はこうやって身体を媒介して人と接することが楽しくて好きなんだなぁ」
とも思いました。

===
もちろんしんどくてしんどくてしんどくて・・・嫌になることも正直言えばあるのだけれど。
どんなときでも、予定に自分から穴を空けることが無いように。
いつも同じレベルのクオリティの時間と技術を提供することができるように。
その大変さが、年を追うごとに、骨身にしみてわかりつつあって、本当に時には全部放り出したくなるようなこともあるのだけれど。
===

そんなことも含めて、やっぱりやってて良かった、と思えるような稀有な状態だったかもしれません。きょうは特に。
いい感じに自分が空っぽで、よけいな細工やお節介をせずに、相手の状態がすーっと伝わってきて、こちらからはたぶんあまり無理のない働きかけができた(であろうと思われる)ような日。
これはもう言葉では言い表せないのだけれど、望んでもなかなか意識的には作りだせない状態なのです。(まだまだ私は修行が足りんです)

思い起こせば、鍼灸学校に入った頃の26歳の私。何にも出来ないくせに、生意気で、口ばっかり達者で、ワガママで、コワいもの知らずでした。(あ、基本的には、いまもぜんぜん変わってないか・・・^^;)
そんな自分が、こうしていま、ほんの少しでも誰かのために役に立ったり、喜んでもらえたり、楽しみにしてもらったりしているかもしれないということ、なんだかとっても驚きの事実だったりします。ホントにホントに。ありがたいことです。

そういえば。
例えば、初詣に行ったとしても、昔はお願いするのは自分のことばかりだった。思えば本当に、欲深く自分勝手ばっかりしていました。それがあたりまえのように。(恥)
ここんところは、「元気に暮らせますように。世の中のために少しは役に立てますように。みんな元気で平和でありますように」 どこに行ってもだいたいそんなかんじ。
昔の私だったらきっと、そんなの退屈でありふれたつまらない願いだ、と笑うだろう。
だけど、
「おまえにはわかんないだろー。そのあたりまえさの重みとか、有難さとかが。まだまだ苦労が足りんなぁ~!」
と、昔の私に言ってやりたい。でもね、10年後の私がいまを振り返ったら、
「ったく。ぜんぜんわかってねーなー、おまえ!」
と、思うようでありたいと願っていたりもするのです。

さて。今年も、あいもかわらずぼちぼちと。
いい加減に(好い加減に)精進いたします。
どうぞよろしくお願いいたします。
by tamayura_tamayura | 2009-01-07 22:37 | 雑談

ミクロコスモス・マクロコスモス(其の壱)

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2007年1月 BALI アグン山とブサキ寺院


~~~
久しぶりに写真ひっぱりだしてたら、またバリに行きたくなりました。
マイルもたまったし、サーチャージも下がったかしら。なーんて。
いつにしようかな。。。とか、妄想が膨らむときがいちばん楽しいです。
~~~

さて。あれこれ思いついたこと。

「私は鍼灸師です」と言わなきゃならない機会がときどきあるんですが、聞いた人がそこから想像なさる内実は、聞き手によって相当に違いがあるようです。

整形外科の一種だと思ってる人も居るし、
接骨院と同じだと思ってる人も居るし、
東洋の神秘を操るオカルティストだと思ってる人も居る。

とまぁ、、、だいたいそんな感じです。
うわぁ!それって、明らかに誤解されてるなーなんて思うことも多々あるのですが、いちいち細かく説明するのがだんだんめんどくさくなってきたりしてることもあって、相手から興味を持って問われない限り、自分から丁寧に説明することがなくなってしまいました。

まぁ、一般的な話で言えば、現状では鍼灸師は古典や神秘的な名人芸を学ぶよりも、明らかに西洋医学的な教育内容をみっちりと受けてまして、現代鍼灸は「東洋の神秘」ではなく、医療従事者である、とお考え頂くのが、より現状に即した理解ではなかろうかと思います。

しかしながら、実のところ、すでに私自身、スタンダードな鍼灸師というのが、いったいどういうことなのか、だんだんよくわからなくなっていたりします。
というのも、私の受けた鍼灸教育は「科学的鍼灸」だったけれど、現場で働くあいだにはだんだん不可思議な人のこころや反応の多彩さを無視しては、とても臨床ではできないと考えるようになりました。そんななかで、かなり無理していたけれど、臨床心理の方々の中に入れていただくような貴重な経験をさせていただいたきました。(まぁ、きっと・・・間違いなく私は異端でしょう。どちらの世界から見ても)
そんなこんなを重ねることによって、自分が、いわゆる現代鍼灸におけるスタンダードな考え方から、かなり感覚がズレてきていることを自覚しています。

私は「客観的」「科学的」であろうとする医学や、現代鍼灸に反対するものではありませんし、むしろできるだけ科学的研究が進んでくれたらいいのになぁ、と思っています。自分でも、解剖学的、医学的説明は日常茶飯事で使わせてもらっています。ですから、誰にでも汎用性を持って伝えやすい「科学的言説」、その客観性に感謝することは数限りありません。

確かに私自身は臨床の中で、基本的に私は「気が~」とか、「経絡が~」とか、その他もろもろの東洋的だったり、オルタナティブ的だったり、オカルト的であったりするような話し方はしないんですが、実際のところ、個人的に強く関心を寄せていることと言えば、無記名のデータとしては扱いきれない事象としての個人のあり方、個人の物語性といったことなのです。
ということを、まず先に、正直にカミングアウトしておかなければならないのかもしれません。

って、いやぁ。。。
この話いったいこの先どうなっちゃうんだろう???

(この項続く)
by tamayura_tamayura | 2009-01-05 12:54 | 抽象的な話