『怪しげな民間療法や代替医療』やってる者として

いまさらこんな話をするのも気が進まないんだけど…

そもそも西洋医学とか自然科学の考え方からすれば、鍼灸治療って邪道
(と言ってもおそらく差し支えないかと)扱いなんですよ。
代替医療の中でも、鍼灸は国家資格になってますけどね、このあたりにも
いろいろ背景があるし、医療職の中でもやはりちょっと異色の資格です。

いやはや。さっきこれ読んでたらなんとも複雑な気分になりまして…

あなたが主張している「正論」は、「不安な人」には届かない。
http://d.hatena.ne.jp/fujipon/touch/20110418#p1

この方は例として医療の話を持ち出してるんでしょうから、ここに過剰に
反応するのはちと筋違いだは重々承知しておりますが、やはり気になる。

=== 引用開始 ===

でも、大部分の人は、「そうですか、不安なんですね。
でも、いまはそういう症状があるかもしれないけれど、少なくとも検査
では命にかかわるような病気はなさそうです。とりあえず様子をみて、
症状がひどくなるようだったら、もっと詳しく検査をしてみますから、
また受診してくださいね」と少し時間をかけて説明すれば、それなりに
納得してくれるものだ。
実際には、その「少し時間をかける」ことが厳しい場合もあるのだけどね。

「不安な人」に対して大切なことは、まず、「あなたは不安なんですね」
と受け入れることだ。
「そんなくだらないことを不安に感じるなんてバカ」と言う相手に心を
開く人はいない。

そして、そういう対応をされた患者の多くが、怪しげな民間療法や代替医療
に「救い」を求めることになる。
民間療法や代替医療を行っている人たちは、「自分の話を聴いてくれる」
から、という理由で。

=== 引用終わり ===



前半はわかります。そのとおりだと思います。
で、「怪しげな民間療法や代替医療」を業とする者としては、後半だんだんと
なんとも言えない複雑な心境となります。
まぁ、、、世の中には確かに怪しいのいっぱいあるしね。。。
それは否定出来ないんですが、全部ひとくくりにされるのも何とも気分悪い。

なにしろ、私がお目にかかっている方の多くは「病院では何ともないと言われ
るけど、やっぱり具合は悪いし不安なんだ」とおっしゃる方々です。
「数値で悪い!ってわかるよう重病じゃなくて良かったじゃないですか!」っ
て、たいていまず私は話を始めるけど、まぁおよそ最初はそれには共感しては
いただけませんわな… だって辛いんだもん。そのご本人は。

とはいえ、その得体の知れない不安やら辛さを、いっしょになって悲しんで
いたら治療者にはなれない。
どう捉えるか、どうやって接していくかは、治療者の腕の見せ所なんです。

だいたいねーーー「話を聴く」の何が悪いの??? 
じゃあ、だったらどうすんの? 病院で医師がそこまでケアしてくれんの?
それで困ってる人たくさんいるんだけど、だったらどうしろっての??? と、
ちと喧嘩腰ファイティングポーズになりそうな私…
いかんいかん。。。(以下自粛)

辛さや具合の悪さは、すぐには変わらないかもしれない。だけど、人間には
だいたい自浄作用がある。よほどでない限り、それはきちんと働く。(もし
くは、無意識下で治りたくないと思ってる…場合さえ時にはあるんだけどさ)
元気をなくていた方々が、少しずつ回復なさって、元気を取り戻していかれ
るのを見ているのは、私が仕事を続けていくためのモチベーションなのです。

私は「怪しげな民間療法や代替医療」で、「話を聞いてあげる」だけで、
お金を頂戴している怪しい奴なんだわなー…(笑)とか、しみじみ思います。
おそらく、臨床心理士さん方も「話を聞くだけで治すってどういうことだ?」
みたいな偏見に遭ってる方が少なくないはずです。

でもねー、臨床ってのは、まず目の前の人に対してなんか出来ることをする
方が大事なんじゃないのかな?それが正しく証明できるかどうか(それは勿論
あればあるに越したことはないし、それを否定するわけじゃないけど)は
また別の問題だったりするように思うのです。(両立がベストですけどさ)
また、臨床には「経験知」という類いのものがあるんです。(この話はまた
巨大なテーマなのでいつかそのうち!)

科学は、測定出来ないモノは扱えない、というか対象外であるはず。
「不安測定器」とか無いしね…
「不安尺度」的な質問紙みたいなものもこの世にはたくさんあるけど、
そもそも「不安とは何ぞや?」と正確に定義しようとしたら、できるのか?
非常に難しいでしょ?

理解する、ってことと納得したり、安心する、ってことは別物だし、
それらが同時にぱっと生じる訳でもないと思うのです。
(これは、難しい病気になればなるほど、重要な点であります)

病気の話としてじゃなく、すごくベタに変換してみれば、
「あの人はああいう人なんだなぁ…」と理解したところで、
「あいつが嫌いだ!」という気持ちは消えないかもしれない。
「それでも離れられないの」という執着が強くなるかもしれない。

でも、もしかするとだんだん「どうでもいいや」と思うかもしれないし、
「それならそれで、適当に付き合っていこう」と思うかもしれない。
そういうことは、明らかに科学の範疇じゃないですわな。

なかなか両方きちんと扱える人って少なくて、それがいろいろ大きな問題
だったりするのが今なんじゃないかと、、、漠然と思っています。
by tamayura_tamayura | 2011-04-18 13:15 | 311後の世界
<< 湖尻→九頭龍神社→箱根神社→天... 急激に気温が上がるとめまいが出... >>