Memento mori ~ メメントモリ(死を想え)

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2007年7月


2011年3月11日。
地震が発生した後からずっと、私はテレビの生中継で津波を見ていた。

それを見ていることは、たくさんの方々が亡くなっていく場面を上空から眺めて
いるのと同じことなのだろうとは、どうしても信じたくなかった。
そうであってほしくない。いま画面に映っている民家からはみんなとっくに避難
しているんだ!って、信じたかった。

海岸線に押し寄せる果てしない異常な姿の波は、波とはとても思えなかった。
きれいに整った畑やたくさんの家や道路や車を、あっという間に呑み込んでいく
真っ黒いぐしゃぐしゃの塊は、とても波とは呼べない姿だった。

想像をはるかに絶する光景。これが現実だなんて信じたくなかった。
なにもできない。ただしっかりとみて、記憶しておくことしか。


○ 仙台市の名取川河口の津波の映像を見ている。アナウンサーと解説者の声が
うわずっている。なにもかも流されている。家も畑も車も学校も。津波の中で、
火事が起こっている。なにもかも真っ黒でぐちゃぐちゃになっている。
○ たまらない。見ていられない。居ても立っても居られない。でも見続けよう。
それしかできない。
○ リアルタイムの津波の映像を引き続き見ている。こんなことが現実に起こるなんて。
○ とてつもなく凄いことになってるんだ。これは。



たったこれだけ。かろうじて言えたのは。
これはもう後戻りができないほどの大きな出来事だ、ってことだけわかった。
見ているだけで、苦しかったしショックだった。いまもやっぱりね。

***

「死は怖くない」なんて、私はやっぱり言えない。死ぬのはちょっと怖い。
以前はそうは素直に言えなかったな。大馬鹿だ。今さら反省している。

わざわざ「死なんて怖くない」とか大声で言ったり暴れたりする人たちは、
たぶんどこかで怖くて、死を強く恐れているからだろう。だから反応する。
そんなの気にしてなければ、わざわざ大声で言う必要なんてないんだから。

本当に強くて激しいものは、きっととても穏やかで静かなんだよ。
そんな単純なことが、若いころにはちっともわからなかったよ。

人間本来の濃密な生死の姿、みたいな空疎でカッコいい言葉に憧れた。
大定番のインドに行ってみたかったけど、結局行ったことはない。
… だって私は、根性なしだから。
上から安全圏から、さらっとなぞるだけは嫌なんだ。
なんだかもう、行ったら二度と帰ってこれなくなるような気がしたんだ。


= 『メメント・モリ』 藤原新也 より引用開始 =


ニンゲンの体の大部分を占める水は、水蒸気となって空に立ち昇る。
それは、雨の一部となって誰かの肩に降りかかるかもしれない。
何パーセントかの脂肪は土にしたたり、
焼け落ちた炭素は土に栄養を与えて、
マリーゴールドの花を咲かせ、カリフラワーをそだてるかもしれない

=== 引用終わり ===

↑ 亡くなった人を野焼きしてる写真についてるコメント。

藤原新也公式サイト
http://www.fujiwarashinya.com/
上記サイトのMemento mori コーナーから、Web版が見られます。



皮肉だけれど今は、わざわざ遠い国に行かなくても、いまの日本には、
たくさんの生死の悲しみの姿がある。これがいまの日本の現実。
これまでの毎日のほうが、作りものの嘘っぱちだったみたいに。

死はまったく他人事なんかじゃない。明日は我が身だ。明日なんてわからない。
そう思いながら、ここのところずっと毎日を暮らしている。

死ぬのはまだ、やっぱりちょっと怖い。
死ぬときはひとりだし、それはちょっと怖い気もするけれど。
それでもひとりじゃないと思えば、なんだかとても安心して、
救われるような気もするんだ。

ま、このまま頑張って、いつか死ぬまで生きるよ。大丈夫。


***


外はずいぶんたくさん雪が降っていますね。
あとでもうひとつUPします。たぶん。
by tamayura_tamayura | 2011-03-23 22:45 | 311後の世界
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