いい介護の日だそうだ。

なーんだか朝っぱらから、テレビやら新聞やらなんやらに
城戸真亜子と綾戸智恵の露出が異常に多いなー…と不審に思っておりました。

で、なんなんでしょ。11月11日は「いい介護の日」なんだそうです。
なるほどー。

リアルに身近にそういうケースがあって、自分が大変な目にあうことがないと、
なかなか興味が湧かない人が多いかな。
だからこそ、啓蒙活動をしようって試みは悪いことじゃないと思います。
だって、介護のことなんて、
たぶん、なるべく先送りにしてあんまり考えたくない話題として、
横綱級の強さなんじゃなかろうかしら。

ま、私も自分が親の介護をするってことはできれば考えたくない。
でも、ほかに被ってくれる人いないので、相当切実だったりしますよ。

ただ、私の場合は「孫」という比較的ニュートラルな立場で、
祖母の認知症発生から亡くなるまで(全部で7年くらいかな?)
一部始終のフルコースに立ち会ったから、わりとリアルに想像がつくのです。

介護の途中で、介護者だった娘(つまり私の叔母)がリタイア。
(それも、見つかったときには末期の肺ガンでね。亡くなりました)
あとは、親戚同士でごたごたしたりして、結局は私の母が最後まで見た。

でも、それは実の母だったしねー。
お姑さんだったりしたら、またぜんぜん状況は変わると思うな。
きっとみんな大きな声で言わないだけで、実際にはいろいろ大変なんだろう。

体験したみなさんに伺っていて共通していることは、
親が認知症になったとき、それを認められない。認めたくない。
という葛藤がものすごくある、んだそうです。

認知症(つまり以前の表現をすれば「痴呆」だわね)になって、
いろんなことがだんだんわかんなくなっていった人は、
形は同じ人間であっても、中身はもう以前の人間とは同一、とは言えなくなる。
その事実が、近しい家族(としての介護者)にとって、
ものすごい葛藤を引き起こす訳なのでしょうね。
そうかもしれない。

でも、わかんなくなっていく側にも、
わかんなくなっていく故のリアリティがあって、膨大なる不安があって、
わかんなくなっている故の言い分があるわけなのですよね。
だんだん失われていく明晰さのなかで、
こうした気分とか言い分は、もう最後にはきっと、
ぜんぜん形にもコトバにもあがってこない呻きみたいになってしまうのだろうけれど。


なんというか。絶対に、介護の現実は美談だけではないと思うのです。
(こないだの南田洋子の件とか、ワイドショーノリで、思いっきりこてこての美談仕立てにされると、そーとー気味悪かったな。。。ああいうのが人気あるのかしら?それとも制作者側の認識・意識が低くて、結果的に視聴者を馬鹿にしてるだけなのか?)


誤解を恐れずにもう思い切って単純化して言えば、
基本的にはもうひたすら、「食事と排泄」の繰り返しですから。
「よい食事」「よい排泄」あってこその命。
そのことがほんとうに身にしみてわかります。


そしてたまーーーに、いいこと、うれしいことがある。かもしれない。
そんなかんじなのかな。たぶん。

わかりやすくて短絡的なシアワセとか、満足感を求める輩には、
とてもじゃないけど理解しがたい世界なのかもしれません。
でも、わかりやすくなくて、短絡的じゃないけどシアワセ、
とか、そういうこともあるのかもしれない、という気がします。

そんなこと考えながら、あれこれ眺めていました。
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by tamayura_tamayura | 2009-11-11 13:27 | 雑談
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