陰極陽生~2008年冬至~本日は、2008年冬至。 ながいあいだ、冬至とは「昼がいちばん短くて、夜がいちばん長い日」で、 「カボチャを食べて、ゆず湯に入る日」くらいの認識しかありませんでした。 たぶんおおかたの人は同じようにお考えなのではないかと思います。 でも、あるとき、昔からの考え方には「冬至とは太陽の光がいちばん弱まる日で、陰の力が極まるとき。冬至を境にまた太陽は生まれ変わり、力を増幅させていく特別な日」とでも言うような発想があることを知りました。そして、西洋でクリスマスとして祝われるのは12月25日だけれど、これは実はそれまですでにあった土俗宗教や習俗が冬至を祝っていたのをうまく習合させたのではないか、なんて説もあるのですね。 さて、高尾山。最近ではミシュランの星がついて話題になってますし、東京の小学生ならきっと必ず一度は遠足に行ってる場所かと思います。私は3~26歳くらいのあいだ、八王子に住んでいたので、高尾山はすぐ近くのお庭、でした。(小学校3年生の夏休みの宿題で、何かひとつ人に自慢できることをしよう!というテーマがあったので、夏休み中に15回だったかな?高尾山に登ったんでありました) この高尾山で、冬至の日に富士山を見ると、太陽がぴったりと富士山の頂上に沈んでいく(つまり、俗称ダイヤモンド富士)」と知ったのは、遅ればせながら2006年のことでした。ひゃぁー凄い。世のなか、知らないことばかりです。高尾山は山伏とか、天狗とか、修験系の雰囲気がある場所です。で、なんでそもそも高尾山が霊山になったかといえば、きっとずーーーっと昔の人たちはすでに、その冬至の日に沈む太陽のことを知っていて、きっと特別な日として祝ったり儀式をしていたに違いないからだ!と、想像しました。 2006年の冬至の日。高尾山頂はものすごーーーくたくさんの人で溢れていました。初詣のような、満員電車のラッシュ並みの人ごみ。みんな高そうなカメラと三脚をセットして、そのときをいまかいまかと待っていました。たちこめるものすごい高揚感。「祭り」ってこういうものなんだなぁと、はじめて肌で感じました。 16時過ぎに太陽が傾いてくると、薄もやの向こうから富士山のシルエットが浮かび上がってきて、みるみるうちに太陽が富士山の山頂に吸い込まれるように沈んでいくのです。眩しすぎて目の前がオレンジ色に染まる。目の奥がちかちかして、でも見たい。「うぉーーー!」とか「わぁーーー!」とか、歓声があちこちであがり、シャッターを切る音がかしゃかしゃ・・・響きわたる。きっと、大昔の人たちも、きっとこうやって、声をあげたり、歌ったり踊ったりしたに違いない。 2006年、私は本当に辛いことばかりでした。 「一度ざっくりと死んで、また新たに生まれ変われますように!」 と、ただただ心の中で祈っていました。 あれから2年。きょうの冬至は、私は一日中仕事でした。 高尾山ではやっぱりたくさんの人たちが歓声をあげていたかな? ※ そういえば、高尾山に行ったのは、冬至の翌日だったような。(写真の撮影日データが12月23日になってるので、たぶんそうでしょう) 「きのうの冬至には、曇っていて夕陽は見られなかったんだよー」と現地で会った方に聞いたような記憶があります。
by tamayura_tamayura
| 2008-12-21 23:34
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